豊後大野市では、「豊後大野市名誉市民条例」を制定しています。公共の福祉を増進し、又は学術若しくは技芸の進展に寄与し、その他社会文化の興隆に貢献した功績が卓絶で、市の誇りとして市民の尊敬を受ける方に、豊後大野市名誉市民の称号を贈り、長くその栄誉を称えます。
豊後大野市名誉市民 朝倉文夫(あさくらふみお)
登録番号 第1号 顕彰年月 昭和61年9月
氏名(ふりがな) 朝倉文夫 (あさくら ふみお)
生年月日 明治16年3月1日
出 生 地 上井田村(現豊後大野市朝地町)
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略歴
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1883(明16) 大野郡上井田村(現 豊後大野市朝地町)に生まれる
1903(明36 20歳) 東京美術学校(現 東京芸術大学)彫刻選科に入学
1907(明40 24歳) 同校彫刻選科卒業、卒業制作「進化」
下谷区(現 台東区)谷中天王寺にアトリエ新築
1908(明41 25歳) 第2回文展「闇」2等賞(初出品最高賞)
1909(明42 26歳) 東京美術学校研究科修了
第3回文展「山から来た男」3等賞(文部省買上)
1910(明43 27歳) 第4回文展「墓守」2等賞(文部省買上)
1911(明44 28歳) 第5回文展「土人の顔(其二)」3等賞(文部省買上)
1912(大 1 29歳) 第6回文展「若き日の影」3等賞(文部省買上)
1913(大 2 30歳) 第7回文展「含羞」2等賞
1914(大 3 31歳) 第8回文展「いづみ」2等賞
1916(大 5 33歳) 文展審査員となる
1919(大 8 36歳) 帝展審査員となる
1921(大10 38歳) 東京美術学校教授に就任
1926(昭 1 43歳) 朝倉塾としての活動を開始する
1934(昭 9 51歳) アトリエを改築、朝倉彫塑塾とする
1944(昭19 61歳) 帝室技芸員となる
1947(昭22 64歳) 日本芸術院会員
1949(昭24 66歳) 日展常任理事
1958(昭33 75歳) 日展顧問となる
1961(昭36 78歳) 台東区名誉区民推戴
1964(昭39 81歳) 急性骨髄性白血症にて没する
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叙位叙勲等栄典事項
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1944(昭19 61歳) 勲四等、瑞宝章受章
1948(昭23 65歳) 第6回文化勲章受章(大分県、彫刻界で初)
1951(昭26 68歳) 文化功労者となる
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功績事項
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彫刻界の重鎮として活躍し、全国各地に数多くの作品を残す。
官展審査員として、また、東京美術学校や朝倉彫塑塾で多くの後進を育成し、日本近代彫塑の基礎を築いた。
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