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県指定有形文化財《建造物》

公開日 2015年2月22日

最終更新日 2024年1月24日

県指定有形文化財(建造物)

   石造宝塔 (川辺宝塔) 

川辺宝塔

川辺区の正明寺(しょうみょうじ)跡に所在する。総高は235cm。基礎4面にはそれぞれ形の違う格挟間を彫る。笠下部や相輪等に朱や墨の顔料が残っている。塔身の銘文によると、12名で結成された逆修講(ぎゃくしゅうこう)が南北朝時代の明徳4(1393)年に造立した塔であることがわかる。笠上部の大きな露盤及び連子の手法は、この地域で活躍した石工玄正(げんしょう)の流れをくむものと思われる。地元ではしろべえさまと呼ばれている。

 

所在地:三重町川辺186-1
指定年月日:昭和33年3月25日

  石造宝塔 (蓮城寺永仁宝塔)

蓮城寺永仁宝塔

蓮城寺薬師堂脇に2基並んであり、総高約146cmで、基礎に薄い8葉の蓮弁を陽刻している。塔身部には扉形を彫り、間に四仏の種子(しゅじ)を彫る。首部は2段で下段に高欄、上段に柱を立てた形を彫る。県内では他に例を見ない様式で、畿内の中央工人による作と考えられている。向かって右側の塔の塔身に銘文があり、年号は判読できないが、「僧覚智」の文字から判断して、鎌倉時代の永仁4(1296)年と推定されている。

所在地:三重町内山521
指定年月日:昭和33年3月25日

   石造宝塔 (蓮城寺文中宝塔)

蓮城寺文中宝塔

蓮城寺境内にあり、総高241cmで、保存状態はよい。基礎2面に格挟間をはさんで銘文があり、南北朝時代の文中4(1375)年の年号、及び多数の人名や「念阿弥陀仏」などの文字があり、時宗(じしゅう)関係の結縁者による造立と考えられる。石工名はないが、格挟間、露盤、相輪の特徴などからこの時代に活躍した玄正(げんしょう)の作と思われる。

所在地:三重町内山527
指定年月日:昭和33年3月25日

   石造宝篋印塔 (法泉庵宝篋印塔)

法泉庵宝篋印塔

法泉庵区観音堂境内に所在する。総高243cm、基礎下部に反花を彫る。塔身に金剛界四仏の種子が薬研彫りされている。基礎の4面に格挟間をはさんで長文の銘文があり、僧良智をはじめとする60人の地蔵講の結衆が南北朝時代の正平25(1370)年に造立したもので、地蔵信仰で災難防除・平和を祈願したものであろう。石工は玄正(げんしょう)で、彼の代表的な石造美術品である。

所在地:三重町西泉1688
指定年月日:昭和33年3月25日

   石造五輪塔 (中尾五輪塔)

中尾五輪塔

中尾区の納骨堂裏山にある。総高255cmの巨大な五輪塔で、水輪には金剛界四仏の種子が薬研彫りされている。地輪に銘文があり、表面の剥落等で判読しにくいが、南北朝時代の康暦3(1381)年造立と十阿という石工名が確認できる。地元では虎御前あるいは腹太と呼ばれ、安産祈願の信仰がある。

所在地:三重町久田3180
指定年月日:昭和33年3月25日

   石造五輪塔 (下赤嶺五輪塔)

下赤嶺五輪塔

下赤嶺下区の道ノ上古墳の後円部頂上にあり、明治時代頃に現在地に移転されたと伝えられている。総高は155cm、各輪四方に梵字(ぼんじ)が薬研彫りされているが、移転の際によるものか一部の欠損や方位のずれがみられる。地輪に銘文があり、鎌倉時代の正安2(1300)年に時宗関係者による造立と推定されている。

所在地:三重町赤嶺799
指定年月日:昭和47年3月21日

   石造宝塔 (不二庵宝塔)

不二庵宝塔

深田区の通称不二庵(ふじあん)跡にある。総高は160cmであるが相輪は欠失している。基礎4面のうち2面は2区に分かれてそれぞれ格挟間(こうざま)を彫り、他の2面は中央に格挟間を彫りその左右に7基ずつの板碑を陽刻している。塔身に金剛界四仏の種子のほか銘文があり、南北朝時代の暦応3(1340)年春の彼岸の中日に、良円が現世と来世の安楽を願って造立したことがわかる。

所在地:三重町本城1497
指定年月日:昭和47年3月21日

   石造五重塔

川辺五重塔

川辺区の水田脇にあり、川辺五重塔とも称する層塔で、総高は273cm。最上部に相輪の代わりに一石五輪塔を配している。茶壷形で首部のある塔身に金剛界四仏の種子を彫る。基礎1面に銘文があり、室町時代の文明元(1469)年10月の造立である。地元では「くじゅうさま」と呼ばれ、火伏せの神として信仰されている。

所在地:三重町川辺2110
指定年月日:昭和47年3月21日

    石幢 (大楽寺石幢)

大楽寺2

中尾区の大楽寺跡にあり、総高280cmで均整のとれた大型の石幢である。龕部(がんぶ)は八角で六地蔵と十王2体が薄肉彫りされ、笠・中台・幢身・基礎ともに平面は円形である。銘文により室町時代の大永8(1528)年2月に聖順居士が六地蔵信仰により極楽往生を祈って造立したことがわかる。

所在地:三重町久田3194
指定年月日: 昭和47年3月21日

    石幢 (馬場石幢)

馬場石幢

上田原区の県道脇にあり、高さ233cmの均整のとれた石幢である。銘文では、天文5(1536)年筑後国生葉郡で戦死した多田良鑑種の追善供養のため造立されたことがわかる。当時は国主大友義鑑(よしあき)が熾烈な領地争いを展開しており、多田良氏もそれに従って落命した武将の一人と思われる。龕部(がんぶ)には六地蔵と十王の2体が浮き彫りされており、これが雲座に乗っていることが特徴である。

所在地:三重町上田原
指定年月日:昭和47年3月21日

    西岸寺石造宝篋印塔

西岸寺宝篋印塔

久原区西岸寺境内に所在し、もと旧天徳寺跡にあったが移転したものと伝えられる。宝珠部は欠損し、基壇は失われている。南北朝時代の嘉慶元(1387)年〔一説には建徳元(1370)年ともいわれている〕の造立で、大工玄正(げんしょう)の作であることが刻銘で確認できる。玄正は当時大野郡一帯で活躍した石工で、多くの作品が文化財に指定されている。

所在地:三重町久田4241
指定年月日:昭和48年3月20日

    的場石幢

的場石幢

宮尾区の字的場にあったが、耕地整理のため昭和52年12月現在地に移された。総高240cm、基礎は方形、幢身・中台・笠は円形である。龕部(がんぶ)に六地蔵を半丸彫にして彫られているが、十王像がないのが特徴である。銘文より室町時代の明応2(1493)年3月10日の造立であり、近くの有田石幢と同一形式であることがわかる。

所在地:三重町宮野3253
指定年月日:昭和51年3月30日

    慈雲庵石幢1号

慈雲庵1号石幢

羽飛区慈雲庵境内にある。総高237cmで、龕部(がんぶ)は八角で各面に六地蔵と十王(鬼?)1体、俗人(童子?)1体を陽刻しており、それ以外の各部はいずれも平面は四角である。幢身に浅い線彫りの金剛界四仏の種子を彫り、1面に銘文があり、室町時代の永正元(1504)年に逆修供養のため造立したことがわかる。

所在地:三重町秋葉3153-1
指定年月日:昭和51年3月30日

    神目寺石幢

神目寺石幢

中尾区の神目寺跡の天満宮の下にある。総高217cm、優美な単制石幢で、笠塔婆ともいう形式である。塔身の上部に四仏の種子があり、正面に刻銘がある。神目寺全盛期当時の室町時代末期の永禄7(1564)年に、斑甫座元禅師の現世安穏・後生善処を祈って弟子の清斑が造立したものである。

所在地:三重町久田2572
指定年月日: 昭和51年3月30日 
 

    浄運寺宝篋印塔

浄運寺宝篋印塔

浄運寺つつじ園の上にあり、総高200cmである。基礎には輪郭内に格狭間(こうざま)を、塔身には四方仏の種子を彫り、墨や朱等の彩色が残っている。相輪は宝珠の部分を欠いている。基礎の西面に銘文があり、造立は南北朝時代の文中4(1375)年で、「別時衆」という文字がみられることから別時念仏講衆の結縁者によることがわかる。石工名は大工為宗で、同時期活躍している玄正とは別系統の石工と考えられている。

所在地:三重町内田95
指定年月日:昭和51年3月30日

    神山石幢

神山石幢

下小坂区の神山家裏山林にあり、総高240cm、全体的に重厚な作風で、龕部(がんぶ)には六地蔵と十王一体、俗人一体が陽刻されており、彩色の痕跡も残っている。幢身にある銘文により室町時代の永正4(1507)年4月、法名道金・妙慶が現世安穏・後生善処を祈って造立されたことがわかる。平成9年の保存修理の際、現位置へ移動した。

所在地:三重町小坂1178
指定年月日: 昭和51年3月30日

    有田石幢

有田石幢

三重町宮尾区有田の道路脇にあり、総高246cm。基礎は二重で四角形であるが、幢身・中台・笠は円形、龕部(がんぶ)は六角で六地蔵の半肉彫りがある。宝珠下部を欠失する。龕部の銘文により室町時代の明応2(1493)年4月15日に逆修供養のために造立されたものである。距離的にも近い的場石幢よりわずか1ヵ月後の紀年であり、形式も同一であることから、同一石工の作と推定される。

所在地:三重町宮野1738
指定年月日:昭和55年4月8日

   地蔵院石幢

地蔵院石幢

羽飛区の西、深田区との境近くの山林中の地蔵院跡にある。総高250cmで平面は円形の石幢である。龕部(がんぶ)には六地蔵と十王2躯を彫る。幢身に銘文があり、衛藤主計允が月叟という院主の逆修のため建てさせたものであることがわかる。衛藤主計允は大友家家臣で白谷付近を領していた衛藤蔵人の子孫という。紀年銘はないが全体の形式や宝珠の形から判断して、室町時代後期頃の造立と考えられる。

所在地:三重町秋葉3643
指定年月日:昭和55年4月8日

    石幢 (板井家石幢)

板井家石幢

宇田枝区に所在し、永正13(1516)年在銘、総高270cmの石幢である。幢身に中台、龕部(がんぶ)、笠、宝珠と平面観は四角で、欠失部もなく良好な保存である。龕部には六地蔵のほか不明像が彫られている。銘文から、法華経1千部の読誦供養(どくようくよう)のために六地蔵を建立し、現世安穏後生善処を願ったものであることがわかる。

所在地:清川町宇田枝1508-2
指定年月日:昭和40年3月9日

   石造宝塔 (足立家宝塔)

足立家宝塔

六種(むくさ)宝塔とも呼ばれる石塔。総高は210cm、基礎には納経のためと思われる小孔があり、やや細身で平面観を隅丸の方形をとる塔身を載せている。塔身には鎌倉時代末の嘉暦2(1327)年の年号や大願主頼行、礼拝供養などの銘文が見られる。笠は重厚で軒口(のきぐち)も厚く、すずやかに伸びる相輪とともに鎌倉期の特徴を備えた宝塔である。

所在地:清川町六種2509
指定年月日:昭和47年3月21日

    後藤家石幢

後藤家石幢

天神区に所在し、総高268cm、大型で方形の石幢。龕部には六地蔵のほか十王像3体が彫られ、彩色が残っている。「□□三歳丁丑十一月十二日」の紀年銘があり、各部の特徴が室町期の様相を呈していることから康正3(1457)年の石幢と推定される。逆修塔であり「大工太郎四郎」の石工銘も見られる。

所在地:清川町天神2855
指定年月日:昭和56年3月21日

    地蔵原石幢

地蔵原石幢

大石区に所在し、総高246cmの石幢。平面は方形で豪壮な造りだが、笠部に垂木を刻み込むなど精巧な手法も施されている。龕部には六地蔵のほか2体の像が彫られている。銘文から永正5(1508)年に現世安穏後生善処を祈願した逆修塔であることがわかる。

所在地:緒方町大石
指定年月日: 昭和48年3月20日

    三反畑板碑

三反畑板碑

上自在の耕地脇にある高さ約3mもある大型の板碑で、天授3(1377)年銘のほか、大日如来、釈迦などを表す梵字(ぼんじ)が彫刻されている。緒方惟栄が背後の丘陵から投げて刺さったとの伝説がある。永福寺跡に建てられたもので、緒方一族の供養塔ではないかといわれる。

所在地:緒方町上自在117
指定年月日: 昭和48年3月20日

    湯迫石幢

湯迫石幢

総高283cmの巨大な石幢。平面観方形で重厚な印象であるが梵字(ぼんじ)や垂木の表現には精緻な部分も見られる優品である。龕部には六地蔵のほか3体の像が線刻されている。現在は鞘堂(さやどう)が設けられ手篤く保存されている。銘文には「金銀山六箱寺」や享禄5(1532)年願主阿闍梨(あじゃり)慶源により奉納されたことが記されている。

所在地:緒方町栗生
指定年月日:昭和51年3月30日

   石幢 (早尾原石幢)

早尾原石幢

上尾塚早尾原に所在する単制の石幢で、あまり類例のない珍しい形式である。暦応2(1339)年の造立で、総高は204cm。幢身は八面でそれぞれの面が板碑型となっており梵字(ぼんじ)が刻まれている。うち一面には浄土三部経一石一字とあり、平成12年の調査では基壇下から一字一石経が見つかっている。

所在地:朝地町上尾塚525
指定年月日:昭和32年3月26日

   石幢 (池田石幢)

池田石幢

一万田氏館跡の北の谷窪に所在し、総高222cm、八角の塔身に方形観の中台を載せ、六地蔵を線刻した八角の龕部(がんぶ)を持つ石幢である。銘文から応永17(1410)年、悦山慶公の供養として造立されたことがわかり、一万田氏ゆかりの塔と考えられる。笠と中台が破損しているが歴史的な価値の高い石幢である。

所在地:朝地町池田(谷窪)
指定年月日:昭和40年3月9日

   戸崎石幢

戸崎石幢

戸崎区大師堂近くに所在し、総高は236cmで、平面は方形の石幢である。幢身に墨書による文安5(1448)年の紀年銘がある。龕部(がんぶ)には六地蔵と十王2体が薄く彫りだされ、赤・白・黄などの彩色が残っている。

所在地:朝地町市万田(小畑)
指定年月日: 昭和54年5月15日

   長寿庵五輪塔(二)

長寿庵五輪塔

小切畑地区長寿庵の東に2基並んでいる五輪塔である。右の塔は総高225cm、左は186cmである。両方とも完形で正平11(1356)年の紀年を持つ。銘文からそれぞれ尼覚澄、沙弥浄覚の生前供養、いわゆる逆修塔であることがわかる。

所在地:大野町長畑105(小切畑)
指定年月日:昭和49年3月19日

   表宝篋印塔(三)

表宝篋印塔

大野町河面地区の墓地にある3基の宝篋印塔。相輪上部を欠損している。うち一基は貞和2(1346)年銘、もう一基には建徳2(1371)年の銘がある。残る1基には銘がないが建徳年銘の塔と同形式同手法で作られており、夫婦の逆修塔とも考えられている。その作風の特徴は、当時豊後大野一帯で活躍した石工「玄正(げんしょう)」の作と推定されている。

所在地:大野町中土師485(河面)
指定年月日: 昭和49年3月19日

    表五輪塔(二)

表五輪塔

大野町河面地区の山中に所在する多くの五輪塔群で、最大のものは総高139cm。そのうちの完形の2基に正平23(1368)年の同じ月日の銘をもつことから、2基同時に造立されたものと考えられる。

所在地:大野町中土師2386(河面)
指定年月日:昭和49年3月19日

   三徳石幢

三徳石幢

津留区公民館裏の山頂に所在する。総高230cm、平面観方形の石幢。享禄3(1530)年の逆修塔で、六地蔵と十王1体(閻魔大王?)を龕部(がんぶ)に刻む。幢身の各面上部に月輪と金剛界四仏の種子が彫られている。

所在地:大野町夏足1023-1
指定年月日:昭和49年3月19日

   上津神社一ノ鳥居

上津神社鳥居

上津神社裏山の旧境内への登山道に所在する鳥居。額束に寛正3(1462)年の銘がある。全体的に丈が低くて材が太く、笠木・島木とも反りがなく古式を呈している。

所在地:大野町片島1754
指定年月日: 昭和52年3月31日

   平尾社鳥居

平尾社鳥居

横尾地区、通称原にある平尾社の鳥居。本殿から谷を挟み約1キロほど離れた位置にある。八角の柱を持つ非常に珍しいもので、観応2(1351)年造立以後、これまで4回の修理記録が柱に刻まれている。柱など順次取り替えられながら当初の形を守っているとみられる。

所在地:千歳町新殿941
指定年月日:昭和33年3月25日

   石造五輪塔(二)

大乗寺五輪塔

新殿楢木野の大乗寺跡に五輪塔2基が並んでいる。向かって左側の塔は「阿闍梨澄円」の門弟たちによる逆修塔で貞和3(1347)年銘がある。向かって右側の塔は、玄悳(徳)の墓碑とみられ延文6(1361)年の銘がある。

所在地:千歳町新殿69
指定年月日:昭和45年3月31日

   石造宝塔 (平尾社宝塔)

平尾社宝塔

新殿にある平尾社境内にある宝塔。相輪上部端を欠失しているが総高203cmの優美な石塔である。塔身の銘文により暦応3(1340)年、法華経2部を奉納したことが記されている。一説に同じく新殿、岡にあったとされる平尾山龍興寺を廃す際に、その経典をここに収めたといわれている。

所在地:千歳町新殿
指定年月日: 昭和33年3月25日

     柴山石幢

柴山石幢

柴山の宅地内に所在する天文2(1533)年造立の石幢。総高は217cm。四角柱の幢身に中台をのせ4面に2体ずつ配した六地蔵の龕部(がんぶ)に肉厚で円形の笠をのせる。銘文には海部郡柴山村の文字が見え、当時この地域が海部郡に属していたことがうかがえる貴重な資料でもある。

所在地:千歳町柴山644-2
指定年月日: 昭和49年3月19日

   高添石幢

高添石幢

高添地区の共有林の中に所在する石幢。総高210cm、永禄4(1561)年の銘を持つ。四角柱の幢身に中台をのせ4面に2体ずつ配した六地蔵の龕部(がんぶ)に肉厚で円形の笠をのせる。逆修塔であり「道明禅門」「妙西信女」の供養のために造立された。

所在地:千歳町長峰2265
指定年月日: 昭和49年3月19日

    新飼宝塔(二)

新飼宝塔

犬飼町黒松にある宝塔2基で、総高は235cmで共にほぼ同じ形式である。貞治6(1367)年逆修のために造立されたと銘があり、大きい方が「仏子・正善」小さな方が「比丘尼・仁正」が願主となっており、夫婦で供養のために建立されたと考えられる。

所在地:犬飼町黒松1128-1
指定年月日:昭和50年3月28日

    大聖寺宝篋印塔

大聖寺宝篋印塔

大聖寺境内にある総高262cmの宝篋印塔。貞治5(1366)年の紀年銘を持つ。非常に均整の取れた塔で、その作風の特徴は、当時豊後大野一帯で活躍した石工「玄正(げんしょう)」の作と推定されている。

所在地:犬飼町柴北
指定年月日:昭和50年3月28日

    宮脇宝塔

宮脇宝塔

黒松区阿蘇神社に隣接して所在し、貞和4(1348)年在銘で、総高253cmの宝塔。やや壺形の塔身には肩部に納経のための小孔が穿たれている。江戸時代の書物「豊後国志」では大友親綱の墓と紹介されているが、親綱の没年より百年以上古い紀年のため、疑問が持たれている。

所在地:犬飼町黒松979
指定年月日:昭和52年3月31日

     藤ノ木石幢

藤木石幢

高津原区墓地に所在する総高210cmの石幢。幢身は角柱に面取りを施し中台は円形であるが下部は方形に仕上げられている。やや小ぶりな円形の龕部(がんぶ)には六地蔵と十王2体が彫られ、大きな笠をのせている。笠は2段の軒口に垂木を施し笠裏には応永12(1405)年の墨書銘がある。

所在地:犬飼町高津原256
指定年月日: 昭和58年4月12日

お問い合わせ

社会教育課 文化財係
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FAX:0974-24-0041