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吉岡敏和さん

公開日 2019年10月2日

最終更新日 2019年10月2日

 ワクワクを追いかけて辿り着いた「自分らしい」暮らし

こんにちは。地域おこし協力隊の日淺紗矢香です。

「移住者の体験談」第6弾では、おおいた豊後大野ジオパークの「ジオパーク専門員」を務める吉岡敏和さん(58)をご紹介します。

 

吉岡さんアイキャッチ
 

茨城県つくば市にて国の研究機関の研究員として長らく最前線で活躍をされ、退職後に豊後大野市へ移住された吉岡さん。

そんなご自身の生い立ちや豊後大野市へ移住するまでのストーリー、そして今後の夢についてお話を伺いました。


 

目次

1、「地図」が大好きだった少年時代

2、心惹かれる方向が運命の道

3、責任感と研究人生

4、ワクワクする方へ進んだら結びついたもの

5、紡がれる歴史を知ること

6、「地域密着型」で使命を果たしたい

7、まとめ

 

 

1、「地図」が大好きだった少年時代


「潜在的にね、小学校に入る前から地図が好きだったんですよ。」
そう穏やかにほほえみながら口を開いた吉岡さん。


吉岡さん写真

京都府京都市の出身。

小さい頃からお父さんと一緒に山を歩いたり、地図を持って出かけてはその土地と地図を見比べたり古墳やお寺を探すことが好きだったのだそう。

そんな吉岡さんは小学生の時に「郷土クラブ」に入り、地元の太秦(うずまさ)の史跡や文化について学びました。

太秦では平安京ができる前から渡来人による文化が芽生えており、知れば知るほど郷土の歴史や文化にますます興味を抱いていったといいます。


中学校では「歴史クラブ」へ入り、地元をはじめとする日本の歴史や文化について、より深く学んでいきました。当時、顧問の先生がお寺の住職さんであったことから、仏像についても多く学習し好奇心をふくらませていったという吉岡さん。

 
そして高校でも「郷土研究部」の部員として活動。古代の遺跡、とくに古墳に興味を持ち、3年間ひたすら仲間とともに全国の古墳を見て回ったのです。

ちなみに吉岡さんの古墳好きポイントは、誰が埋葬されているのかというところではなく、その古墳の形や石の種類、石組みの構造がどうなっているのかという点だといいます。

歴史的な人の動きではなく、地理的・文化的な部分により惹かれていたようです。

「大学進学の時に、当然まわりの人は私が文系に進むものと思っていました。そのまま歴史を極めていくんだろうと。でもね、残念なことに私は国語と英語がとても苦手だったんですよ。その代わり数学や理科が得意で…。趣味と学校の勉強は違うという意識で、自分自身は当然のごとく理系を選択し大学入試を受けました。」


趣味の世界や好きなことは文系の範囲…でも得意な科目は理系。
将来の仕事に結びつくであろう選択で、好きなものとは反対の道を選んだ吉岡さん。しかしその選択は、吉岡さんにとって運命の道だったのでした。

 

2、心惹かれる方向が運命の道 


神戸大学の理学部を受験し、結果合格した吉岡さんでしたが、入学することになったのは第1志望であった数学科ではなく、地球科学科という学科。

 

「行く予定もなかった地球科学科に入ることになって…いったい地球科学って何をするの?と相当慌てましたね。それで地球科学の本をどんどん読みあさっていったんです。そして、山のでき方や地層のでき方、地球自体のでき方を学んでいくうちに、『これは面白い!』と、はまっていきました。」
 

地球科学科にて勉学に励むうちに、地質学の面白さに魅了されていった吉岡さんはある時ハッとしたといいます。
 

「小さい頃に地図を持って山を歩いたり、盆地である京都の地形の謎を分からないなりに観察して楽しんでいたことが、こうやって知識を持って本格的な研究をすることができていることに、『結びついた』という感覚がしたんです。好きなことと反対の道に入ってしまったと思っていたら、ちゃんと繋がっていたんですね。」
 

そうして地質学を研究しはじめた吉岡さんは、その中でも「活断層(かつだんそう)」に注目しました。

山や盆地の地形は、地面の下にある活断層が動くことでつくられている。故郷の京都だって、大学のある神戸だって活断層によってつくられたのだ…と、調べるほどに面白くて仕方なくなり、そのまま論文を書くまでに至ったといいます。
 

数千年に一度動く活断層。その過去の動きを調べ研究することは、数千年、数万年という大地の歴史と向き合うことであり、考古学とも密接に関係すること。

活断層というテーマが、若かりし吉岡さんを地球の進化における様々なジャンルのロマンへと連れて行ってくれたのでした。

 

3、責任感と研究人生


神戸大学の理学部地球科学科を卒業した後、吉岡さんは東京都立大学の大学院へ進学します。そこで「地理学」を専攻し、より専門的な知識と技術を蓄えていきました。

そして1986年。現在の「経済産業省」の前身である「通商産業省」の地質調査所に就職し、ついに研究者としての人生を歩むことに。
地質調査所の「地質部層序構造課研究員」として働く吉岡さんは、ひたすらに全国の地質調査をして歩いたといいます。
大分県での地質調査も忘れられないという吉岡さん。豊後大野市の歴史民俗資料館に展示されている地質図も、吉岡さん達の研究により作られていました。


地質図

「ここの区画は、ちょうど私が調べた所です。」
そう指さして見せていただいたのは、20万分の1の地図を16等分にした中の、大分平野のある一区画。


地質図2

「一区画あたり34名で調査をするのですが、期間としては300日ほどかかります。ただひたすら野山を歩いて、そこに出ている地層を観察しながら調査していきました。」 
そんな地道な作業を全国でこつこつとし続ける日々の中で、ある日衝撃的な出来事が起こります。
1995117日に発生した阪神・淡路大震災です。
神戸の大学生時代から興味深く研究していた活断層が引き起こした大災害は、吉岡さんにとって大きなショックでした。
震災発生1週間後に現場調査に入った吉岡さんでしたが、「これまで学び調査してきた活断層の知識や研究の成果をしっかりと防災に役立てなくては。」という強い気持ちを抱いたといいます。
また、当時メディアでは活断層に関する誤った情報も多く流れ始め、世の中の活断層に対する意識や誤認識にも危機感を募らせたそうです。 
この大震災を皮切りに吉岡さん達が行う活断層の調査研究の業務は一気に忙しくなり、それから20年もの間、ひたすら活断層調査を続けたのでした。

4、ワクワクする方へ進んだら結びついたもの


責任感を持って続けていた活断層の研究ですが、吉岡さんは研究の中にだんだんと自分のワクワクした気持ちが無くなっていくことに違和感を抱きはじめます。毎年毎年の予算手続きや報告に追われ、自分らしさを失っていく感覚があったのでした。
 「これから先の人生を考えたときに、自分のやりたいことを大切にしようと思いました。そして研究人生に終止符を打とうと決意したんです。」

 その決断には、周囲の人々も仰天したといいます。
「周りは私がまさか辞めるとは思わなかったみたいで…。国立機関の研究所の人が定年前に辞めるのは前代未聞だったようです。でも、自分の人生においてワクワクがやっぱり優先だったんですよね。」

そうほほえむ吉岡さんは、それでもどこか研究者の顔に見えました。

研究者の顔

吉岡さんが当時、研究者の道を終える決断をしたのには、もう一つ理由がありました。


2004年に学会で訪れたイタリアに魅了されたのです。

吉岡さんは奥様とイタリアの、それも地方の町や村へ何度も訪れ、その雰囲気や地産地消の生活を見て「地域密着型の暮らし」に強い憧れを抱いたのだそうです。

イタリアの地方では、「バール(bar)」という軽食喫茶店で、旅人や地元の人が立ち飲みのスタイルでコーヒーを片手に交流をします。人々は「ここが一番だ」と口々に言いながら、地元の食材でその地域独特の郷土料理を食べるのだといいます。

「いつでも、どこでも同じものを購入し食べることのできる生活を豊かだと思うか、その時その場所にしかないけれど、とびきり安全で新鮮で美味しいものを食べる生活を豊かだと感じるのか…私は後者でした。」

イタリアの地方の「地域密着型の暮らし」に感銘を受けた吉岡さんは、いつか日本でそのような田舎暮らしを奥様と一緒にしようと心の中でずっと決めていたのです。
 

それではなぜ、移住先に大分県を選んだのでしょうか。

「大分県は、地質調査をしたときに良い印象が残っていて…。その時に土地勘もつかめたし移住先を探しやすいと思いました。しかも妻が大分県南部の出身なので、それもあって自然と大分県に目が行ったんですね。あちこち見て回りました。」


そして見て回った大分県の中から豊後大野市緒方町を選んだ決め手とは・・・。

 
「緒方町の風景と風土に惹かれました。緒方町の井路沿いの風情ある景観の中で傾山から祖母山までが一望できる土地を見つけ、ここにしようと決めたんです。」

また、ご夫婦揃って山登りが趣味で、祖母山・傾山、阿蘇・くじゅうへ車で1時間以内で行ける所も魅力だったいう吉岡さん。

生活する上でも病院やスーパーなども近くさほど不便は感じないそうです。


実は、昔から九州に住みたいという気持ちがあったとのこと。
その理由について、てっきり「ご飯が美味しい」や「温暖で住みやすい」などを想像していましたが、そこはやはり吉岡さん。予想とは全く違う観点で九州を見ていました。
「古代史好きにはね、九州はとんでもなく憧れの地なんですよ!」

キラキラとした吉岡さんの瞳が少年のように輝いていました。

少年のようにキラキラ

そうして2016年に豊後大野市緒方町へ移住した吉岡さんご夫妻でしたが、地域のことをより深く知ろうと受講したジオガイド養成講座がきっかけで、人生の歯車は再び回り始めます。
ジオガイドになるにあたり、吉岡さんの専門的な知識や経歴が伝わりジオパークの専門員への依頼がかかったのです。

本人もまさかだった研究人生の再開。
それでも、豊後大野市でジオパークの専門員になれて本当によかったと吉岡さんはいいます。
「田舎に住みながら週に23回しているジオパークの仕事は、研究機関で20年以上携わった活断層の知識に加え、歴史・文化・仏像など小学生の頃から好きだったことが全て合わさった内容で、それを周りに伝えていく仕事なんです。好きなこと・惹かれることに進んだら、いつの間にか全てが繋がったんですよね。」


ジオパーク専門員の様子2

     (写真提供:豊後大野市歴史民俗資料館)

いったんは終えたと思っていた研究者の道。

しかし自分のワクワクに正直に進んだ先では様々な経験が結びつき、自分らしい道が自然と用意されていたようでした。
 

5、紡がれる歴史を知ること

 
吉岡さんは豊後大野市緒方町にある「豊後大野市歴史民俗資料館」にてジオパーク専門員を務めています。

 

ここで、少しこの歴史民俗資料館の紹介をさせていただきます。

レキミン外観

「豊後大野市歴史民俗資料館」は、豊後大野市緒方町の緒方平野の中にたたずむ市の施設です。1984320日に竣工された「旧緒方町立歴史民俗資料館」を利用し、2005331日に設置され、豊後大野市やその周辺の歴史・民俗・文化に関する資料を多く収蔵しています。

 

20139月に認定を受けた「おおいた豊後大野ジオパーク」についても学ぶことができます。展示室の入り口では、日本の固有種で天然記念物のニホンカモシカや、1987年に豊後大野市緒方町の山中で捕獲された「九州最後」と呼ばれるツキノワグマの剥製がお出迎えしてくれます。

ニホンカモシカと熊さん


また、平安時代のものといわれる巨大な木造仏なども展示されており、1000年程前に彫られたであろう貴重な仏様を間近に見ることもできます。

木造の仏様

向かって右側の木造の仏様は、「木造如来形坐像(もくぞうにょらいがたざぞう)」と呼ばれ、腕・手は取れていますが、立体感のある造りで平安時代の後期の作品と推定され、中の構造も見ることのできる貴重な仏様です。

他にも多くの展示物や資料から豊後大野市の歴史、文化、考古などを学ぶことのできる歴史民俗資料館ですが、ここで当館に勤める豊田徹士さんにお話を伺いました。

 

豊田さんは、歴史民俗資料館にたくさんの人々に訪れてもらい、豊後大野市のことをよく知ってほしいといいます。

 

「有形文化財も無形文化財も…豊後大野市には本当にたくさんの種類の貴重な史跡・文化がありますが、その全てが豊後大野市をつくっています。例えば、この歴史民俗資料館の上の方に流れている緒方上井路だって17世紀に作られてから今までずっと流れ続ける歴史あるもの。そんな一つ一つのストーリーを知って当時に思いをはせるだけで豊後大野市の見え方は全然変わってくると思います。だから皆さんに知ってほしい。今この瞬間だって紡がれていく歴史の瞬間の一つなのですから。」

 

2019年秋には日本ジオパーク全国大会が開催され、113日、4日には豊後大野市が舞台となります。

ジオパークをはじめ多くの豊後大野市の文化・歴史について学ぶことのできる歴史民俗資料館へ、この機会にぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。
 

6、「地域密着型」で使命を果たしたい


現在、ジオパーク専門員として活躍する吉岡さんは、同時に専門的知識を活かした防災士でもあります。 
 

防災士とは、「自助(自分の命は自分で守る)」、「共助(地域・職場で助け合い、被害を防ぐ)」、「協働(市民、企業、自治体、防災機関等が協力して活動する)」を原則として、社会の様々な場面で防災力を高める活動が期待され、そのための十分な意識と一定の知識・技術を修得したことを日本防災士機構が認証した人のことを指します。

(参照:認定特定非営利活動法人 日本防災士機構)


吉岡さんは今後の夢について、そんな防災士としての役割を、自身の研究者として培った知識を活かしながら、今後もより「地域密着型」で果たしていきたいといいます。

ジオパーク専門員の様子3
                           (写真提供:豊後大野市歴史民俗資料館)

「全国規模や県・市単位での防災マニュアルはありますが、実は地域ごと、家一軒ごとに防災は変わってきます。多くの人に自分の家の裏の崖や地層に興味をもって観察してもらい、地層を知ることでどのような災害が予想されるかを一緒に考え伝えていきたいです。」

そしてイタリアの地方で出会ったバールのような、「地域に根ざした」喫茶店をご夫婦でオープンしたいという夢も変わらず持ち続けている吉岡さん。そんな「地域密着型」を大切にする姿勢は、吉岡さんのこれまでの経験や、移住してきたからこその土地を愛する心からくるのでしょう。

 

7、まとめ

 

小さい頃から好きで仕方なかったこと。
 

吉岡さんの人生のお話を伺うと、それは何年たってもブレないものだと気づかされます。吉岡さんは、軸をもって生きてきたつもりはなく、心惹かれる方向へ進んだら自然と軸がつくられてきたといいます。

 
人によって生き方や選択する道は異なり、誰しもその未来を知ることはできませんが、吉岡さんのように「自分らしさ」や「ワクワクするもの」の方向へ思い切って進むことで、自分の使命だったり予想もしなかった景色が待ち受けているのかもしれません。

 
そして、歴史を客観的に見れば1人の人間の人生とはあっという間ですが、そのたった1人の存在の大きさは計り知れないものがあります。一見その時は遠回りに思えたことも、大きく見ると現在の自分に「結びついている」と考えることもできます。

 
地方への移住を検討されている方は、ぜひその土地の文化や歴史について学び、これから紡がれるその地の未来を想像してみてはいかがでしょうか。その中でひょっとしたら進むべき道が見えてくるかもしれません。

 

そしてその選択した道は大なり小なり周囲に影響を与え、その地域の歴史の一コマに素敵な色をつけていくことでしょう。

ラスト写真
 

 (2019/10/02記 地域おこし協力隊 日淺紗矢香)
 

お問い合わせ先
・豊後大野市歴史民俗資料館:  社会教育課 文化財係 TEL / 0974-42-4141 (HP: https://www.bungo-ohno.jp/docs/2015040300018/
・おおいた豊後大野ジオパーク:  おおいた豊後大野ジオパーク推進協議会(豊後大野市商工観光課内)  TEL / 0974-22-1001 (HP:https://www.bungo-ohno.com

 

 

お問い合わせ

まちづくり推進課 
電話:0974-22-1001