本文へ移動

文字の大きさ:

背景色:

河村十久枝さん

公開日 2019年7月17日

最終更新日 2019年7月10日

地方で「やりたいこと」に挑戦し続ける。家族で移住して気づいたこと。

こんにちは。

豊後大野市地域おこし協力隊の日淺紗矢香です。

 

移住者の体験談も第5弾を迎えました!

今回取材させていただいたのは、豊後大野市犬飼町でフラダンス講師として活躍されている河村十久枝(かわむらとくえ)さん(49)です。
 

アイキャッチ
 

2004年に家族と東京から移住をしてきた河村さん。そんな河村さんのフラダンス講師としてのありかたや犬飼町での暮らし、母目線での移住についての考えをお伺いしてきました。

 

 

目次

1,澄みきった青空の下、家族と生きたい

2,アンテナを常に立てておくこと

3,子どもから学ぶこと

4,地域で子どもを育てる

5,命さえあれば何度でも挑戦できる

6,まとめ

 

 

 

1,澄みきった青空の下、家族と生きたい

 

「小さい頃はね、本当に引っ込み思案だったんですよ。」

 

フラダンスの練習を終えた河村さんは、清々しい笑顔でそう話しました。

底抜けの明るさを感じさせるその笑顔には、引っ込み思案な性格だったとは想像しがたいものがあります。

 
えがお


岩手県大船渡(おおふなと)市出身。

何にでも好奇心旺盛で、昔から歌や踊りが好きだったけれど、それは家の中だけ。

人前となると、特技を披露したり、お話をすることさえ苦手だったのだそうです。

 

そんな河村さんは高校卒業後、岩手県を出て東京の英語系専門学校へ進学しました。そして東京の部品メーカーの国際部に就職し、同じ会社で働いていたご主人と出会って結婚、2人のお子さんに恵まれ、家族4人で東京生活を送っていました。

 

しかし都会の空気の中で暮らすうちにだんだんと自分の中で違和感が募り、田舎が恋しくなったといいます。

「田舎と比べて都会の空気は好きではなくて…。自然のある暮らしを求めていましたね。青空の下、家族とのびのび過ごしたいと思っていました。」と河村さん。

 

また、ご主人も多忙すぎる日々に疑問を抱いて地方での転職を考え始めたこともあり、「このタイミングで田舎へ移ろう!」と家族で決めたのだそうです。

検討した移住先は、地元の大船渡市か、ご主人の生まれ故郷である豊後大野市犬飼町のどちらか…。

 

犬飼町を選んだ決め手は何だったのでしょうか。

 

「私の兄夫婦が大船渡市の実家で両親と同居をしたんです。それが一番大きかったかな。ほっとする気持ちがあり、意識が自然と犬飼町の方へ向きました。」

 

そしてついに2004年、2人の娘さんとご主人とともに豊後大野市犬飼町へ移住し、新たな暮らしをスタートさせたのでした。

 

移住して不便なことや心配事はなかったと河村さんはいいます。

「緑があって落ち着くし、車を30分走らせれば大分市街にも行けます。犬飼町での暮らしで不便に思ったことは一度もないし、心から移住してきて良かったなと思っています。」

 

河村さん一家は引っ越した当初、ご主人の両親の家に3年間同居し、その後同じ敷地内に新居を建てて住みはじめました。小さい子どもたちのお世話を喜んでしてくれる両親の存在はとても大きかったといいます。

 

さらに周りの環境に溶け込むために工夫したことも教えていただきました。

「一番心がけていたのは、あいさつですね。知り合いがあまりいない環境でしたが、あいさつを続けていると自然と知り合いが増えていきました。あとは、娘たちが繋いでくれたものもたくさんありましたね。娘の友達繋がりで親同士も知り合いになれたり…とても大きな変化でした。」

 

「家族で移住する」というのは大きな勇気や様々な不安がつきまとうこともあるかと思いますが、子どもが繋いでくれる出会いや新たな世界など、家族での移住だからこそ素敵な経験が待ち受けているのかもしれません。

 

河村さんの踏み出した一歩は、家族にとっての大きな一歩だったのです。

 

,アンテナを常に立てておくこと

 

現在、フラダンス教室に通いながら、自身も講師として犬飼町で2カ所、三重町で1カ所の会場で教室を開いている河村さん。

 

フラダンスをはじめたのは豊後大野市に移住してきてからでした。
 

ふら


「東京で暮らしていた時から知り合いがフラダンスをしているのを見て興味はあったものの、なかなかはじめる機会がなくて…。犬飼町に移住してからフラダンス教室が開講したことを知ったのですが、そこで娘の友達の親子が習い始めると聞いて、『よし、自分もやってみよう!』と思い立ちました。」

 

アンテナを常に立てていたことにより、興味を抱いていたものにやっと飛び込むことのできた瞬間でした。

 

当時小学1年生と幼稚園生だった娘2人と一緒に習い始めたフラダンスはとても楽しく、数多くの発表会を通して、人前に出る抵抗感も薄くなっていったといいます。

 

そしてフラダンスをはじめて6年後、気づけばインストラクターの資格まで取っていたのです。

ふらに

「昔からダンスや歌が好きで、何かを表現することが楽しくて仕方ないんですよね。フラダンスは気づけばもう11年もやってる…!これからもずっと続けるんだろうなと思っています。」

 

アンテナを立てているか否か、そのチャンスをタイミング良くつかめているか否かで「自分らしい生き方」が決まってくるのでしょう。
 

3,子どもから学ぶこと


現在、娘さんたちは高校3年生と高校1年生。

 

子どもたちから学ぶこと、気づかされることはとても多いのだそうです。

 

上の娘さんが当時小学1年生の時のできごとでした。クラスの役員決めでなかなか誰も手をあげない役があり、役員決めが滞っていた中、娘さんは最後に手をすっとあげたといいます。

 

そのことについて先生から教えてもらった河村さんは、手をあげた理由を娘さんに聞いてみました。

「誰もやらないなら私がやらなきゃと思って。」

その時ハッとしたものを感じたという河村さん。

 

「周りが共働きの中、私はまだその時仕事をしていなくて。『誰も手を挙げないなら、私が手を挙げる』という子どもの姿勢に胸を打たれました。私もまずPTAに入って知り合いを作ってみよう、進んで頑張ってみようと思ったんです。」

 

そして娘さんの言葉に背中を押された河村さんは、なんとPTA会長にも挑戦してみることに。

多くの保護者と関わりコミュニケーションを取っていくことで人前で話すことにもどんどんと慣れていったのだそうです。

 

さらには小学校の援助員や読み聞かせのボランティアをしたり、犬飼町の様々な地域づくり団体にも入り、積極的に地域の方とのコミュニケーションを図ったといいます。

 

「知り合いが増えて子育てについての話しも出来るようになって…充実した生活を送ることができるようになりました。」

 

東京暮らしまでは苦手意識があった「自分」を人前で披露すること。

子どもの一言がお母さんの勇気を引き出してくれたのです。

寄り添い

フラダンス講師としても、常に子どもに寄り添い、子ども目線で指導をしている河村さん。自分の「好き」をつきつめた結果、子どもたちへそれを伝える仕事に繋がっていました。

頭で


「子どもたちにフラダンスを教えていくことは大人に教えるよりも頭を使うことではありますが、子どもたちに分かりやすいということは大人にも分かりやすいということなので、子どもたちのおかげで教え方が上達していくんだなぁ、と実感しています。」

 

自分は何をしたいか、どのように表現したいのか。

どうやって動いたら複雑なステップが動けるようになるのか。

 

子どもの目線に立つことで見えてくるもの。

子どもたちと触れ合うことで、河村さんにとってたくさんの気づきや学びがそこにあるのでした。

 

4,地域で子どもを育てる


河村さんが週に1回親子向けにフラダンス教室を行っている「マナビハウス遊学カフェ」は、犬飼町の下津尾という地域にあります。
まなびはうす

「あそび×まなび×くうかん」をコンセプトとし、誰でも自分を表現しコミュニケーションできる場として「元気・なかま」というNPO法人により20176月にオープンしました。

 

ここで、少しこの「マナビハウス遊学カフェ」についてご紹介したいと思います。

 

当施設では、そろばん教室や書道教室、河村さんのフラダンス教室などの習い事をすることができ、18時から20時の間は放課後の子ども達が保護者が迎えに来るまで施設内で自由に遊ぶことができます。
 

ボルダリング


ボルダリングが出来るスペースもありました。

放課後児童支援員の安全確認のもと、子どもたちは安心して遊ぶことができます。

穴


部屋の隅には、屋根裏へ抜ける30センチ四方にくり抜かれた穴が!

この穴を抜けるにはまず大きな肩を入れてから頭を通していきますが、これは全身を使った遊びであり、日常生活に必要な動作なのだそう。たとえば服を着る時、手や肩、頭が服にひっかからないように通していきますが、それはこの穴をすり抜ける動作と同じ感覚が使われています。子どもたちは、どのように動いたらスムーズにいくか、遊びながら日常生活の学びを得ていくことができるのです。

 

マナビハウス遊学カフェを運営するNPO法人の代表、宇野功二さん(40)にお話を伺いました。

「地域で子どもを育てる、ということを一番大切にしています。そして子どもを安心して預けられる場所にもしたいんです。」


マナビハウスに


作業療法士でもある宇野さんは専門的な視点で続けます。

「出産後のお母さんは、エストロゲンというホルモンの低下によって、不安や焦り、うつになることさえもあります。本来そのホルモンバランスの関係で人間は『みんなで子どもを育てて支え合う』生活をしていたのですが、核家族化している現代では子育てを1人で抱え込むお母さんがどうしても多くいらっしゃいます。そんな現代だからこそ、子どもを安心できる場所でみんなで育てていく環境づくりをしたいと強く思っています。」

 

ホルモンバランスの崩れなど、周りの目には見えないことであっても、それを理解し助け合う環境を整えることで、お母さん達の負担は大きく減るのだと宇野さんはいいます。

 

「母体の状態を知っている保健師さんや助産師さんなどの多職種によるサポート体制が地方にはまだあまりなくて。それをしっかり作れたらいいなと思っています。将来は、胎児の時からサポートができるようになりたいですね。」

 

実際、この場所は子ども達を迎えに来る保護者のコミュニティースペースにもなっています。保護者さんにお話を伺いました。

「子育ての悩みだったりなかなか夫には伝わらないことも、ここで少しでも話して共感してもらえるだけでスッと軽くなりますね。子どもも友達がいるから楽しそうで何よりです。」

 

また、マナビハウス遊学カフェでは、忙しい親の代わりにお昼のお弁当代行も行っています。そのお弁当を作っている職員も、実は小中高のお子さんを持つお母さんたちなのだそう!
 

ごはん


つまり子ども達がここで食べるお弁当もちゃんと手作りの「母の味」なのです。

 

「地域で子どもを育てる」マナビハウス遊学カフェの取り組み。

 

そこには、専門的な知識をベースとした子どものための学び場と、それを見守る大人の愛情、さらにはお互いを励まし合う生き生きとした大人の姿がありました。
 

5,命さえあれば何度でも挑戦できる

 

さて、河村さんのお話に戻ります。

 

河村さん一家が豊後大野市へ移住して7年後の2011年に、河村さんの大船渡市の実家は東日本大震災で被災されました。

 

「ちょうど海辺に家があって。津波で家もお菓子屋も流されてしまったんです。」

 

実家で両親が営むお菓子屋さんは3店舗構えており、そのうち2店舗は津波に流され、店主のお父さんはすっかり意気消沈したのだそうですが・・・

 

「町の方々がね、ぜったいあきらめずに再開してほしいって応援してくださったんです。」

なんと老舗のお菓子屋さんを愛する町の人々により家具屋の倉庫だった場所を提供してもらえるようになり、両親と同居していた兄夫婦も必死の努力でお店の営業をし続け、再スタートを切ることができたのだそう。

 

「災害時は両親や兄たちと4日以上連絡が取れない状態でとてもハラハラしていて。連絡が取れてから、犬飼町に来るように声をかけたんですが、絶対に大船渡市でお菓子屋さんを続けるんだという兄夫婦の意思が強くて。そんな2人に支えられた両親も何とか頑張ろうと踏ん張っていたんです。みんなの姿勢から学ぶことは大きかったですよね。」

 

一度きりの人生。何でもやってみようという河村さんの積極性は、家族の生きる姿からも少なからず影響を受けているのでしょう。

 

「命さえあれば、何度でも挑戦できると強く思いました。」

挑戦


生きている限り色んな経験をしたい。チャレンジしてみたい。

常に笑顔で多くの人へ元気を届けている河村さんの心の底には、そのような想いがありました。

 

今後の目標や夢はありますか?と伺うと、お茶目な笑顔で答えてくださいました。

 

「男性のフラダンスグループを作りたいんですよね。」

 

男性のフラダンスグループ!?

とても新鮮でユニークですよね。

 

以前、消防団によるフラダンスパフォーマンスを見たことが強く印象に残っており、同様な面白いグループを作ってみたいのだそうです。

 

見たことのない景色を見てみたい。その思いの強さは、明るくキラキラとしたエネルギーに満ちあふれているようです。

 

豊後大野市の新しい名物ができる日も近いかもしれません。
 

6,まとめ

 

縁もゆかりもなかった土地へ移住し、多くのコミュニケーションを図って自分の道を切り開いていった河村さん。

それは、やっと出すことのできた「自分らしさ」でもありました。
 

自分らしさ


「小さい頃はね、本当に引っ込み思案だったんですよ。でも子どもたちや周りの環境のおかげで色んな気づきや挑戦ができて・・・今がとても楽しいです。」

 

河村さんが底抜けに明るい理由がなんだか分かったような気がしました。

 

別れ際、河村さんは最後に驚きの発言をされました。

「あ、そういえばウクレレはじめようと思っていて!さっそく明日の練習部屋を予約してきます!」

また新しい挑戦を…!と衝撃が走りましたが、その後ろ姿はとてもキラキラと輝いて見えました。

 

挑戦してみたいことに挑戦する。

シンプルなこと、だけれど勇気のいる一歩。

 

そんな一歩を、母親となっても臆せず踏み出すこと。

いや、母親だからこそ、新しい出会いやチャンスにたくさん巡り会えるのかもしれません。

そして、そのようなお母さんたちが支え合い、子どもたちをみんなで見守る環境が犬飼町にはありました。

 

「子育てする地域力」や「親たちへのサポート体制」。

子どもと一緒に地方への移住を考えている方は、ぜひそのような点にも着目して移住先を検討してみてはいかがでしょうか。
 

家族で移住する未来は、今よりも一歩踏み出した新しい世界が待ち受けているかもしれません。


 

2019年7月15日 地域おこし協力隊 日淺紗矢香 記)

 

マナビハウス遊学カフェの詳しい情報は、こちらのfacebookページをご確認ください。
https://m.facebook.com/230695583998174

お問い合わせ

まちづくり推進課 
電話:0974-22-1001