朝倉文夫とは

公開日 2015年1月31日

最終更新日 2015年1月18日

朝倉文夫顔写真小

朝倉 文夫 Asakura Fumio (1883~1964)

明治16年3月1日、上井田村(現朝地町)池在に渡辺要蔵の三男として生まれました。10歳のとき養子として朝倉宗家を継ぎ、尋常小学校を卒業。19歳のとき旧制竹田中学校を中退して上京しました。明治36年、東京美術学校彫刻選科に入学。在学中に1200点もの作品を制作し、明治40年、首席で卒業。その後は彫刻界の重鎮として活躍。大正8年に帝展審査員となったのを皮切りに、同10年に東京美術学校教授、同13年に帝国美術院会員となり、昭和23年には文化勲章を授与されています。その間、「墓守」など数多くの傑作を生み、驚異的な質と量の作品を残し「自然主義的写実主義」といわれる作風を確立しました。

朝倉文夫略歴

1883(明16) 3月1日、大分県大野郡朝地町に生まれる
1893(明26 10歳) 朝倉宗家を継ぐ
1902(明35 19歳) 竹田中学校を中退 上京し実兄の彫塑家、渡辺長男宅(旧下谷区谷中初音町)に住み彫塑を学ぶ
1903(明36 20歳) 東京美術学校(現東京芸術大学)彫刻選科に入学
1907(明40 24歳) 同校彫刻選科卒業、卒業制作「進化」
         谷中天王寺にアトリエ新築、朝倉塾として子弟養成
1908(明41 25歳) 第2回文展「闇」2等賞(最高賞) 文部省買上(原型なし)
1909(明42 26歳) 東京美術学校研究科終了
         第3回文展「山から来た男」3等賞 文部省買上
1910(明43 27歳) 第4回文展「墓守」2等賞 文部省買上
1911(明44 28歳) シンガポール、ブルネイ、その他、南洋を視察
         第5回文展「土人の顔、其の二」3等賞 文部省買上
1912(大 1 29歳)  第6回文展「若き日の影」3等賞 文部省買上
1913(大 2 30歳)  第7回文展「含羞」2等賞
1914(大 3 31歳)  第8回文展「いづみ」2等賞
1916(大 5 33歳)  文展審査員に任命される
1919(大 8 36歳)  帝展審査員に任命される
1921(大10 38歳) 東京美術学校教授に任ぜられる(山田やまと結婚)
1922(大11 39歳) 摂子生まれる
1925(大14 42歳) 響子生まれる
1927(昭 2 44歳)  第1回朝倉塾彫塑展覧会(東京都美術館)
1934(昭 9 51歳)  台東区谷中天王寺町、初音町にアトリエを改築、朝倉彫塑塾とする
1944(昭19 61歳) 過去40年間に制作した像、約400点
         戦争による金属回収のため彫像のほとんど消滅、うち原型300点は保存
1945(昭20 62歳) 帝室技芸員に任ぜられる
1946(昭21 63歳) 12月、妻やま死去(享年60歳)
1948(昭23 65歳) 第6回文化勲章受章(大分県1号)
1958(昭33 75歳) 日展顧問となる
1961(昭36 78歳) 台東区名誉区民推載
1964(昭39 81歳) 4月18日、急性骨髄性白血病にて死去

お問い合わせ

まちづくり推進課 朝倉文夫記念館
電話:0974-72-1300